Thursday, August 16, 2007, 12:49 PM -
勝 公彦さんの仕事
紙漉の修行されていた勝さんを知ったのは、自分も陶芸修業始めた頃
でした、その人となりや生き方には随分影響を受けました。その後、
芭蕉紙再興の志から沖縄へ移住され、現地で弟子さんも加わり順調に仕
事を進められ矢先、病に倒れたとの報(目標としていた10年目に)を受
けました。勝さんの人柄に共感する本当に多くの友人が訃報に驚き悲しみ
ました。それから20年、自分との関わりは短い間でしたが、勝さんの
暖かい少年の様な眼が今でも浮かびます。差し出がましいですがここに
勝さんの仕事を資料の中から抜粋して一部紹介させていただきます。
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1)琉球紙の生い立ちと特色
琉球紙は大見武懸武(唐名関忠勇)という人が、首里王府の命を受
けて、薩摩(鹿児島県)で杉原紙と百田紙の紙漉き技法を学んで帰国
し、首里金城村の自宅で紙を漉いた一六九四年始めて歴史の中に登場
してきます。その後、一七一七年にいたり、四人の下級士族によって
琉球紙の一翼をになう芭蕉紙が開発されております。沖縄の紙漉きは
首里城のあった首里で発達してきました。金城村で百田紙と杉原紙、
儀保村宝口で百田紙、山川村で芭蕉布が漉かれ、その技術は久米島、
宮古島・多良間島、石垣島・西表島にも伝授されております。漉いた
紙の種類には百田紙・杉原紙芭蕉紙・宇田紙・藁紙等がありました。
琉球紙の歴史はそれほど古くはありませんが、芭蕉紙という独特の紙
を創造するなど、自生の原料を使い、沖縄の風土に適した紙を作って
きたといえます。
2)芭蕉紙
芭蕉紙は・沖縄の代表的な織物である芭蕉布と同じ糸芭蕉を原料と
しておりますが、.この二つが競合することはありませんでした。芭蕉
紙の特徴としては、繊維が強靭で荒く、非繊維素が多量に混入し、そ
れが芭蕉紙特有の素朴で渋い地合いの紙を作っていることです。芭蕉
紙は沖縄で生まれ、沖縄でのみ生きてきた独特の紙であるといえます。
和紙には千年以上の歴史があり、古くから楮・三椏・雁皮(和紙の
三大原料)などの原料が使われてきました。これらの療料にはそれぞ
れの特色があって、いろいろな使いかたがなされてきました。
3)紙をつくる仕事は---
百年とか千年とか昔の紙と同じ紙を、その時代とほとんど変わらない道具
と技法でつくることができます。そうすると、できあがった紙の中に昔
の人々の言葉を聞くことができるんです。ゾクゾクするぐらい嬉しくな
るんでず。
私は、「初一念しという言葉を座右の銘として自分がこれまで教えても
らい身につけた紙を漉く技法を生かすことで恩がえしをしたい。毎日、
義務感とか責任感からではなく、とにかく楽しいから紙をつくるのです。
勝 公彦
(「私の20歳の頃」より)
4)勝公彦さん経歴
1947 神奈川県足柄下郡真鶴に生まれる(1月3日)
1969 日本大学芸術学部美術学科卒業(3月)
1972 重要無形文化(人間国宝)安部栄四郎氏に師事(1月)
1973 三沢冨美江さんと結婚(1O月10日)
1974 長男・生水君竃生(12月21日)
1976 文化庁文化財詔査官・柳橋眞氏と初来沖。八重山・西表一島の
青雁皮紙を詔査(12月)
1977 琉球紙復興を期して一家で沖級に移住(12月1日)
1978 沖縄で初めて三桓砥を製作(1月5日)
糸芭蕉讐維抽出の白芭蕉抵を試作(1月)
芭蕉紙抄造に成功(7月19日)
1979 安部栄四郎著・勝公彦抄造榊網の芭蕉絢刊(1月15日)
第13回沖縄タイムス芸術還貫・奨励賞受賞(2月17日)
1980 西表小中学校卒業証書用低の青雁皮紙の紙務き指導で西表島
に渡る(1月27日)
1981 第1回「勝公彦・手'和統一芭蕉抵と琉球和紙の世界一」展開催
(1O月27-31日)
1982『沖縄の紙』刊(4月)県功労章の表彰状用抵に芭蕉低使用(11月)
1983 第2回「勝公彦・手構和低」展開催(1月13-17日)
1985 第3回r勝公彦・手構和抵」展開催(1月10-15日)1
石垣市立八重山博物館子ども博物館請座で「和紙づくり」を指導(2月)
1986 r手漉和紙展一琉球和紙と手携和紙青年の集いの仲間達一」
展開催(6月24-29日)/「第12回 手漉和紙青年の集い」
第6回安谷屋正量賞受賞(12月9日)/同日緊急入院一
1987 海邦国体の賞状用紙・芭蕉紙(天皇杯・皇后杯等)を弟子の
安慶名清・高安朝章両氏抄造(9月29日)
琉球大学付属病院で肺炎にて死去(1O月9日)享年40才
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