Sunday, March 8, 2015, 01:25 PM - インフォ
春の案内状が完成いたしました
村上千彩さん(銅版画家)お手伝い頂きました。
個人宛ては4月初旬にお届け致します。
宜しくお願い致します。
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Monday, June 8, 2009, 06:22 PM - 作品紹介
Thursday, March 27, 2008, 12:26 PM -
椿の肉筆画
この紙面で何度も紹介させていただいた
大阪、藤井寺の佐藤禎三さんは
「椿」の花が大好きな方です。
写真は季刊「銀花1989年冬号に挿入された
佐藤禎三さんの「椿」の肉筆画です。
1冊1冊各々に一葉の肉筆画を添えるのは
大変な作業と思いますが、
依頼された折、迷わず「椿」を選ばれたそうです。
椿の簡素ながら華やかな特徴を捉えて見事です。
雛祭り
Saturday, October 13, 2007, 09:03 AM -
エドワード・ヒューズさんが急逝されましたが、英国と日本の架け橋のように
活動されていました。ヒューズさんの作品(写真・彼の指描紋)と略歴です。
■Edward Hughes略歴
1976 英国Bath Academy of Art卒業
1977-79 文部省奨学生として京都市立芸術大学陶磁器科で学ぶ
1979 琵琶湖西岸に築窯
以後、大阪・京都・神戸・東京で個展
1984 帰英カンブリアに築窯
以後、日本で隔年の個展に加え、イギリス各地で個展
1990 国展に初出品、新人賞受賞大阪日本民芸館買上
1991 第1回Japan Festival一『夢殿』展参加
1995 国画賞受賞1996英国Craft Potters Association会員
1997 国画会会友推挙The Fitzwilliam Museum,Liverpool Museum買上
1999 Victoria & Albert Museum買上(2003年も)
2000 国画会会員推挙
2001 カンブリア州で第2回 japan Festival・国展工芸部展開催に奔走
2004 V&AでCollect 展に出品(2005年も)
Chicago・SOFA展で講演・出晶
2005 フランス・シャルトル市で二人展
日英の工芸について雑誌『民褻』、Ceramic Reviowに寄稿
●阪急百貨店(大阪・梅田)H17年案内状より
陶房展も半ばを過ぎて、冷茶から暖かい紅茶が似合う気候に移り変わりました。
この時期は来訪された方からの個人的な要望や、これから制作する作品
についての話などが話題になってきます。
Thursday, October 4, 2007, 08:23 AM -
柿谷誠さんの仕事
ブログを始めた当初、柿谷誠さんと家具について
自分なりに紹介してみたい想いがあり、所有してた
2点の家具を以前紹介しました。
先日、陶房展のお客さんで家具作りに励んでいる
若い方が来訪され、KAKI家具に話が及び、
私の家具へのこだわりや柿谷さんの人柄を話しました、
その中で思いがけず柿谷誠さんの訃報を
聞くことになり大変驚きました。
仕事にも人間的にも影響を受け、
今もお元気に制作を続けておられると思っていました・・
会期中には様々な風景が展開しますが、
この事実は悲しい風景になりました。
写真上部KAKI家具に付けられた初期の銅製タグ、下部が近年のタグ。
あらためてこの時間を隔てた2枚のタグを見ると、
柿谷さんの男気のあるストレートな生き方を証明しているようです。
ご冥福をお祈りいたします。
Thursday, August 16, 2007, 12:49 PM -
勝 公彦さんの仕事
紙漉の修行されていた勝さんを知ったのは、自分も陶芸修業始めた頃
でした、その人となりや生き方には随分影響を受けました。その後、
芭蕉紙再興の志から沖縄へ移住され、現地で弟子さんも加わり順調に仕
事を進められ矢先、病に倒れたとの報(目標としていた10年目に)を受
けました。勝さんの人柄に共感する本当に多くの友人が訃報に驚き悲しみ
ました。それから20年、自分との関わりは短い間でしたが、勝さんの
暖かい少年の様な眼が今でも浮かびます。差し出がましいですがここに
勝さんの仕事を資料の中から抜粋して一部紹介させていただきます。
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1)琉球紙の生い立ちと特色
琉球紙は大見武懸武(唐名関忠勇)という人が、首里王府の命を受
けて、薩摩(鹿児島県)で杉原紙と百田紙の紙漉き技法を学んで帰国
し、首里金城村の自宅で紙を漉いた一六九四年始めて歴史の中に登場
してきます。その後、一七一七年にいたり、四人の下級士族によって
琉球紙の一翼をになう芭蕉紙が開発されております。沖縄の紙漉きは
首里城のあった首里で発達してきました。金城村で百田紙と杉原紙、
儀保村宝口で百田紙、山川村で芭蕉布が漉かれ、その技術は久米島、
宮古島・多良間島、石垣島・西表島にも伝授されております。漉いた
紙の種類には百田紙・杉原紙芭蕉紙・宇田紙・藁紙等がありました。
琉球紙の歴史はそれほど古くはありませんが、芭蕉紙という独特の紙
を創造するなど、自生の原料を使い、沖縄の風土に適した紙を作って
きたといえます。
2)芭蕉紙
芭蕉紙は・沖縄の代表的な織物である芭蕉布と同じ糸芭蕉を原料と
しておりますが、.この二つが競合することはありませんでした。芭蕉
紙の特徴としては、繊維が強靭で荒く、非繊維素が多量に混入し、そ
れが芭蕉紙特有の素朴で渋い地合いの紙を作っていることです。芭蕉
紙は沖縄で生まれ、沖縄でのみ生きてきた独特の紙であるといえます。
和紙には千年以上の歴史があり、古くから楮・三椏・雁皮(和紙の
三大原料)などの原料が使われてきました。これらの療料にはそれぞ
れの特色があって、いろいろな使いかたがなされてきました。
3)紙をつくる仕事は---
百年とか千年とか昔の紙と同じ紙を、その時代とほとんど変わらない道具
と技法でつくることができます。そうすると、できあがった紙の中に昔
の人々の言葉を聞くことができるんです。ゾクゾクするぐらい嬉しくな
るんでず。
私は、「初一念しという言葉を座右の銘として自分がこれまで教えても
らい身につけた紙を漉く技法を生かすことで恩がえしをしたい。毎日、
義務感とか責任感からではなく、とにかく楽しいから紙をつくるのです。
勝 公彦
(「私の20歳の頃」より)
4)勝公彦さん経歴
1947 神奈川県足柄下郡真鶴に生まれる(1月3日)
1969 日本大学芸術学部美術学科卒業(3月)
1972 重要無形文化(人間国宝)安部栄四郎氏に師事(1月)
1973 三沢冨美江さんと結婚(1O月10日)
1974 長男・生水君竃生(12月21日)
1976 文化庁文化財詔査官・柳橋眞氏と初来沖。八重山・西表一島の
青雁皮紙を詔査(12月)
1977 琉球紙復興を期して一家で沖級に移住(12月1日)
1978 沖縄で初めて三桓砥を製作(1月5日)
糸芭蕉讐維抽出の白芭蕉抵を試作(1月)
芭蕉紙抄造に成功(7月19日)
1979 安部栄四郎著・勝公彦抄造榊網の芭蕉絢刊(1月15日)
第13回沖縄タイムス芸術還貫・奨励賞受賞(2月17日)
1980 西表小中学校卒業証書用低の青雁皮紙の紙務き指導で西表島
に渡る(1月27日)
1981 第1回「勝公彦・手'和統一芭蕉抵と琉球和紙の世界一」展開催
(1O月27-31日)
1982『沖縄の紙』刊(4月)県功労章の表彰状用抵に芭蕉低使用(11月)
1983 第2回「勝公彦・手構和低」展開催(1月13-17日)
1985 第3回r勝公彦・手構和抵」展開催(1月10-15日)1
石垣市立八重山博物館子ども博物館請座で「和紙づくり」を指導(2月)
1986 r手漉和紙展一琉球和紙と手携和紙青年の集いの仲間達一」
展開催(6月24-29日)/「第12回 手漉和紙青年の集い」
第6回安谷屋正量賞受賞(12月9日)/同日緊急入院一
1987 海邦国体の賞状用紙・芭蕉紙(天皇杯・皇后杯等)を弟子の
安慶名清・高安朝章両氏抄造(9月29日)
琉球大学付属病院で肺炎にて死去(1O月9日)享年40才
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